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2004年12月04日

「前月のカレンダーも表示」MT導入と改造

このブログのトップページで表示されるエントリーは1ヶ月分に設定している。 私は毎日は書かないということもあるので、 そうすると月はじめはカレンダーからとべるエントリーが非常に少ないという状況になる。

というわけでカレンダーは前月のものもだすようにした。

ところが、<$MTDate$>では前月を指定するような機能がついていない。

これだと用を足さないので、lib\MT\Template\Context.pmの_hdlr_sys_dateを改造して、 <MTCalendar>と同じようにmonth属性に'last'を指定すると前月を表すようにしてみた。

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「イヤーマフ」行動記録/日記

イヤーマフを買った。イヤーマフといっても防寒用のやつではなく、防音用のやつ。

/yuntanach/blog/000098_1.jpg 買ったのはBilsom社のLeighting L3と いうやつでNRR31の防音性能がある。 これ、日本で売っているやつだと1万2千~5千円ぐらいして、 安いところで9千円ぐらいする。 ところがアメリカとかから直接買えば20ドルそこそこなのだ。 ぼってるなぁ。 とりあえず10個単位でまとめて仕入れてヤフオクあたりで 商売しちゃおうかしら。

宣伝するつもりはないが、取説にあった遮音性能の表を写しておこう。

周波数(Hz)125250500100020003150400063008000
平均減衰(dB)21.426.435.842.841.045.945.545.244.7
標準偏差(dB)2.51.62.62.71.82.12.72.93.0

「イヤーマフ 遮音」で検索すれば類似製品がたくさんヒットするが、 この性能の製品で、送料込みで数千円のものを国内でみつけるのは苦労するだろう。

昔は気にならないものだったのだが、ここ1~2年はマシンのファンの風切り音とか、 いかにも電気っぽい高周音とかが気になってしかたがなかった。 しかも耳鳴りに残ってしまって頭が痛くなるようなときもたまにあり、 しかもだんだんとそういう状況が増えているような気がする。 本当の原因がノイズにあるのかどうかはわからない。 が、耳栓をすると耳鳴りに関しては後がずいぶん楽になる。 なので、最近では耳栓をして仕事をすることが多い。

耳栓をすると集中しやすい。 というか、そういうふうな条件付けをつくることができたようだ。 そういうわけで、今では耳栓は必須の仕事道具となってしまった。 いろいろな種類の耳栓をためした結果、 コストと性能などから「イヤーウィスパー」におちついた。 これなら、薬局にいけばどこにでもあるし、値段も400円ぐらいで手ごろだし。

ところが、耳栓をすると2時間もしないうちに耳のなかがムレてかゆくなる。 しかも、異物を押し込んでいるためかなんとなく耳のなかが痛くなってくる。 2時間しかもたないのでは、日常的に仕事で使うのにはちょっと無理があるように思える。

で、つぎにためしはじめたのが防音用のイヤーマフだった。 工事現場とか、飛行場とかノイズの多い環境で使うやつだ。 イヤーマフならばヘッドフォンと同じく頭に被るわけで、 耳の中に異物を押し込めるわけではないから大丈夫だろうと考えたわけだ。 結果は正解であった。

ただ、イヤーマフといってもピンキリで、 防音性能がちゃんとしてないやつだとあまり意味がない。 ある種の職場では防音対策が法律で定められているので、 ちゃんと効果のあるもの自体はいろいろと種類がある。 いくつかためした結果、結局NRR値という規格による 性能の良いもののほうが、それなりに効果があるということがわかった。 今回買ったLeighting L3という製品はNRRが31あり、 NRRに関してはおそらく最高値に属する。 ちょっと手間だったが、買ってしまった。 今日届いたばかりなので、使用感がどんなであるかはこれから判ることだが。

仕事上お医者さんのところに出入りしており、しかも耳鼻咽喉科だ。 そこで、研究しているお医者さんで日頃比較的気安く話をする先生に耳鳴り のことをきいてみたことがある。 検査するとなれば、脳内の異常などを検査する必要がでてCTやPETを使う ことになる。 そうすると保健がきいても2万円ぐらいからの検査費用がかかる。 病院としては検査をすればそれだけ儲けになるので、 患者がしたいといえば、 検査によって体に悪影響がでないかぎりはいくらでも検査してくれる。 ところが「100人検査して本当に問題があるのは1人いるかいないか」だそうで、 要するにほとんどが気の持ちようの問題らしい。 だから、頭が痛かったりめまいがして立って歩けないなど、 日常生活に深刻な支障がでているのでなければ、 その2万円は高い安心料にすぎない。

ただ、耳鳴りとかだと精神的なものが強く作用することもあり、 一度悪いほうへ転がりはじめると、その悪循環が止まらなくなる。 そのうちただの悪循環ですまなくなり、 不眠とか頭痛とかの症状がでてきてしまう。 そして慢性化すると通院生活だ。 医者にかかれば、仕事を止めたり環境を変える提案をされるとか、 あるいは派生してでてきた症状を押える薬などを投薬することになりかねない。

完全な無音状態でも、ふつうの人は一定音量のノイズが聴こえてしまう。 脳内の神経の働きによる音の情報処理の過程で 生活雑音の分だけバイアスをとっているので、 逆に無音環境にいるとそのバイアス分の雑音が聴こえてしまうというのが 一応の有力な仮説らしい。 が、ほんとうのところは医学的にはよくわかっていないらしい。

ちょっとした実験で、私の耳鳴りは、 一番気になる部分がだいたい9300Hzの音が鳴っているのが分かった。 これは耳鳴りとしてはかなり高い部類になるが、 コンピューターのファンのノイズもこの音域を多分に含んでいるので、 私の耳鳴りが仕事中に聴き続けているファンのノイズに 少なからず由来するであろうことはおそらく間違いない。 こういうのは一度気にしはじめると悪循環でどんどん悪い方向にしかいかない。 だから、耳栓やイヤーマフなどをつかって強引にその悪循環を断ち切るのは、 とりあえずいまのところはやり方としては間違っていないだろう。

検査したらかかったであろうコストはすでに越えてしまっているし、 今回買ったやつより防音性能の良いのはちょっと見当たらない。 これで満足いかなかったら根本的に別のことを考えなければならないだろう。 当面は、これで得た無音環境により、 もとをとれるだけの能率アップができるかどうか、 あとは私自身にかかっている。

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2004年12月05日

「最近みんながしきりに残念がる理由」行動記録/日記

最近どのページをみてもしきりに残念がる人が多いなぁと思っていたら、 今年の流行語だったんですね。

トップテンの入ったもののうち三つ(セカチュー、残念!、負け犬)は、 なんとなく聞いたことあるような気もあるけど、ほとんど初耳だなぁ。 他のも「へぇ~、それって流行ったんだ」という感じでイマイチピンとこない。 ほぼ全滅だったので、ついにこういう事態に陥ったのかとちょっとだけショックである。

今の世の中は多様化が進みすぎて流行も局所的なものになり、 流行の波紋の同心円も半径が小さいものばかりなんだろうなぁ。 だから私のようにどの同心円からも遠いところばかりを歩く人間にとっては 流行語を流行語として認識できないままになってしまう。

でもこれはちょっとイカンだろうとちょっと思い直すところもちょっとあり。 流行にはまる必要はないが、知識としてまったく知らなかったというのはちょっとまずい。 もっとも芸能ネタはどうでもいいっちゃどうでもいいことなのだが、一般論として。

というのは、常々思っていることとして 「変化することは必要、なぜなら、不変なものは重要だから」というのがあって、 流行というのは明らかに「変化すること」に属するからだ。

日常生活のみならず、仕事のソフト業界においてもメインストリームからは少しはずれたところを歩いているわけだが、 そうすると異業種との接点もその分だけ多い。 とくにメインストリームがあまり構ってくれないところなどが特に。

そういう分野においてはITなどは革新要素の最たるものであり、 よって、接する人はみな抵抗勢力になる。 ただ抵抗する側にもそれなりのもっともな理由があり、 変化のみを一概に肯定することはできない。 なんだかんだいって不変なものというのはそれなりに重要な意味をもっていたりするものなのだ。

ところが、私の経験した範囲では、抵抗する側ではすでに変化させないことが 目的になってしまっており、不変なものが重要であるという意味が失われてしまっている場合がほとんどであるような気がする。 結局のところ変化がなければ、不変の重要さが埋もれてしまう。 そういう場合には、だから変化が必要なのだ。

そうこうして至った結論が 「変化することは必要、なぜなら、不変なものは重要だから」 だったのである。

私は無意味なところで知らず知らずのうちに抵抗勢力になっていまいか。 流行語大賞はそれを自問するいいきっかけだったかなぁ、と。

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田中さんらしいなぁ.(^^; でも,彼女から教えてもらったりもしないんですか? ともあれ (JW),眞鍋かをりの blog 読むしか!!

Posted by koichik at 2004年12月06日 00:10

聞けば教えてくれたと思いますが。 何を聞いたらいいのかすらがわからない状況では、 教えることもできないというところだったのでは。

ドラマとかはかなり熱心に観ているようですが、 「残念!」については婚約者も知らなかったようです。

Posted by yuntanach at 2004年12月06日 09:44
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2004年12月06日

「放送法第32条」行動記録/日記

NHK受信料の支払の拒否が11万件を越えたそうである。 巷では、プロデューサーによる資金の流用や着服が問題になっているそうだ。

私の棲みかにNHK受信料の徴収の人がくると「うちにはテレビがありません」と いって追い返す。 テレビがない世帯はNHKの受信料は払わなくてもいいのだ。 ちゃんと放送法にそう書いてある。

放送法
第2章 日本放送協会
(受信契約及び受信料)第32条
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又は ラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。) 若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、 この限りでない
ラジオはあるがテレビのないうちの場合はこの法律のただし書きの部分に該当する。 テレビ受信機がなくても視聴可能なインターネット放送がグレーゾーンのような気もするが、 放送法の第2条のしょっぱなに「放送とは…無線通信の送信」と明記してある ので、無線方法ではないインターネットについてはおそらく現状の放送法ではカバーしきれていない。

一度ならず「そういうこという人が多い」みたいな無礼なことをのたまう 愚か者がいたので、その度に「ならば、家捜しでもしてみろ」と 家に招きいれようとするが、未だかつてそこまで踏み込んできた徴収員はいない。

日本のテレビ普及率は人口あたりでは2002年の段階で71.9%だそうである。 また前回2000年の国勢調査の結果からすると、日本の人口は約1億2700万人、世帯数は4700万世帯だそうだ。 これから計算すると、世帯当たりのテレビ普及率は1.94台となる。 どの家庭にもおよそ2台のテレビがある計算になる。 うちのようにテレビのない世帯はどれぐらいあるのだろうか。 明らかに宝くじよりは確率は高いであろうと想像するが…。

婚約者が映像業界の人で、テレビ業界の裏側については多少明るい。 今回、NHKのプロデューサーが受信料を着服したのが問題になっているわけだが、 婚約者曰く「そんなことはどこでもやってる」そうで、 かつての製作会社の同僚もキックバックみたいなことをやっていたのを知っているそうだ。 NHKのプロデューサーが製作会社に番組制作費を払うのだが、 NHKのプロデューサーの交際費などはその制作費から出ることは あたりまえにあるそうだ。 本当に制作に関係する交際費ならそれは問題ないのだが、 何をどうつかったかわからないお金も少なからずある。 制作費が入るとあらかじめまとめて渡してしまうようなケースもままあり、 厳密に言えばつまりは資金が還流していることがあるということだ。

民放の場合でも同様のことがあるそうだ。 局のプロデューサーはたいてい番組作家を個人的にかかえていて、 それはそのプロデューサーの人脈のたまものなのだが、 作家にお金をとおすことでキックバックされたお金を懐にいれる。

局外の制作会社は企画を出して、 それが通ったら制作費にありつくことができる。 比率はジャンルにもよるそうだが、婚約者のいた会社の場合だと 30本企画をだして1本通ったらいいほうだそうである。 問題なのは、 局のプロデューサーの場合だとお抱えの作家が企画を出した段階で それが通る通らないに関わらず作家にお金を払うことだろう。 で、そのお金は局プロデューサーの懐に還流する。 一度プロデューサーと仲良くなってしまえば、 糞企画だろうがなんだろうが、 台本をかかなくてもとにかく企画を出せばお金になるのだ。 これが局外の製作会社だと、企画の細部にわたってウラをとり、 あとはすぐに撮影に入れるぐらいまで詰めたものでないと門前払いだ。 まぁ、民放の場合だとNHKと違って国民のお金を預かっているわけでは ないから、事情はまったく異なるわけだが。

こういったことはバブルの時代にはとくにひどかったのだが、 さすがに最近は局の財布の紐もそこまでゆるくない。 ところが、バブル時代の味をしめた局プロデューサーは たいして倹約するようになったわけではないのが困る。 結局のところは下請け側にコスト削減のしわ寄せがよってしまうことになる。 こうやってつぶれた製作会社も多いと聞く。

昔から言われていることだが「利は仕入れにあり」である。 この構図が歪んでしまえばどこかにしわ寄せがくる。 ソフト業界は大丈夫であろうか。

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下請けとゼネコンSIerの関係は似ていると思う。IPA受託会社もそうだなぁ

Posted by akon at 2004年12月06日 15:00

既得権益の基盤が強固で新規参入が容易ではないとされる業界はどこもがそんな感じかもしれませんね。実は航空産業も、実は医療システム業界も、……、と挙げていったらきりがないですよね。

Posted by yuntanach at 2004年12月06日 15:35
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「お代は観てのお帰り?」OO百韻

呑舟さんの日記「akonの<よっぱらい>の戯言」のセカンドオピニオンでコメントが続いたので。

経済活動は、その根本では「付加価値を生み出すこと」が基本にあるはずだと思っている。 この考えを極限まで追及すれば、経済活動は成功報酬でのみなりたつ、 逆に言いえば付加価値を生み出せなかった場合には 報酬を手にすることはできないということになる。

実際問題としては、しかし、それはさまざまな意味で非常にきつい。

一方で、これもまた極端な例だが、 もし仕事の成果ができる課程の労働行為の手間賃だけだと、 なにも成しえてないにもかかわらず賃金支払いだけが積み上がっていくということに なりかねない。

だから私は、これらの折衷案、すなわち最低限の賃金は支払われるが、 全てがうまくいったあかつきにはその付加価値に応じて成功報酬が 支払われるというのが妥当なところではないかと考える。

ちょっと話は飛ぶが、パレートの法則というのは、 おそらくこういうところでも成り立つだろうと想像する。

パレートの法則とはいわゆる20%-80%の法則とか、 ニッパチの原理とかで知られているものだが、 パレートの法則自体はもともとは「富の大半は一部の人に集中する」というものだ。 これは経済学以外でもさらに「質的な大多数は、量的な少数派」という具合いに一般化できる。 例えば、ソフトウェア工学で「プログラムの8割は例外処理で、実行時間の2割を占める」と いう話がまことしやかに話されているが、これなども一般化されたパレート法則の ソフトウェア工学での応用例だろう。

他に、働き蟻はどのようにサンプリングしても必ず1割がさぼりだすというのもある。 働き蟻の動きをよく観察していると、ほとんどの働き蟻はいっしょう懸命に働いて いるのだが一部の蟻は辺りをうろついているだけで全く働かずにさぼっている。 ところが、このさぼり働き蟻を排除すると、こんどはそれまでいっしょう懸命に 働いていた蟻の一部がまたさぼりだす。 つまり、特定のさぼる働き蟻がいるのではなく、どのようにサンプリングしても 一定数の働き蟻がさぼるようになっているらしいのだ。 セルラーオートマトンの研究などで、この冗長性が何を意味するのかというのは いまだ結論がでていないトピックである。 人間社会においても、なんとなくありがちな話ではあるが、 私はこれはパレートの法則の逆適用の話であろうと思っている。

話をもとに戻すと、一般化されたパレートの法則と、 一定数がさぼる働き蟻の話などを考えるに、 最低保証賃金+成功報酬制度の場合でも、 やはりごく一部の人が成果に寄与しており、 そして別の一部は全く成果に寄与していないと いう状況が出来上がるのではないかと想像している。 こういう制度が一般化したら、一匹狼はつらいだろうなぁ。

課題とすべきなのは、最低保証賃金と成功報酬の配分であり、 またそれらの差を少なくするための方法のことなのではないだろうか。

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「十を聞いて一を知る」OO百韻

まこたんの日記の[ソフトウェア開発]ソフトウェア開発の変化(というか謎めき)を読んでふと思いだして しまったことがある。

昔私がまだ大学生だったころ、先生が

「ふつうの人間は、10をインプットしたら、 それでやっと1をアウトプットできるようになる。
だから他人が1のことをアウトプットできるようにしたければ、 インプットする側はそのときにすでに10をアウトプットできるようになっていなくてはならない。
よって、他人になにかをインプットしようという人は、それまでに100をインプットしておかなければならない。」
というようなことを言っているいるのを聞いて非常に感心したことを思いだした。

これをよく耳にする「一を聞いて十を知る」にもじれば「十を聞いて一知る」とでも いう感じになるだろうか。 インプットとアウトプットという言葉ではなく、聞くとか知るという言葉ではあるが、 言わんとしているのは同じである。

私は別に人になにかを教えるような立場にある人間ではないが、 まこたんの日記に触発され反省することしきりである。

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教育とは何度も何度も繰り返し教えることである by 大川功

Posted by akon at 2004年12月06日 21:41

どっちにしろ、教えるほうも教わるほうも、たる~い些事の積み重ねが必要ってことですよね。私がもっとも苦手としていることです。

Posted by yuntanach at 2004年12月06日 23:22
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2004年12月07日

「ニューキーボード」行動記録/日記

キーボードを新しいのに替えた。

いままで使っていたキーボードは、なんかキーが引っかかることがあるのと、 打鍵の音がずいぶんと変な具合いに響いていて使いやすくなかった。 新しいキーボードは軽快なキータッチでとりあえずは快調。

本格的にキーボード打つのを覚えたのがアメリカにいたときだったので、 配列の違う日本語キーボードだとフラストレーションがたまりうまく使えない。 大学のときビジネスの学部で秘書科の人がとるタイピングのクラスをとったので、 一応正式に覚えたブラインドタッチを修得している(ことになっている)。 別に秘書科とは全然関係なかったのだが、コンピューターやる人は キーボード打つのが仕事なんだからとっておいた方が良いと勧められ、 まだ素直だった私はそのとおりにしたのだった。 しかし、知人のプログラマとかで、 2~3本の指ですごい勢いで打ち込む人もたくさんみたことがあるので、 今思えばあまり関係なかったかもしれない。

そういうわけで私の指は完全に英語キーボード仕様に染まってしまっており、 日本語キーボードだと指がこんがらがって腐ってしまう。

単に探し方が悪いだけだったのだろうが、 数年前の一時期英語キーボードがどこにいってもおまけていどにしかみつからない時期があった。 どこにいっても日本語キーボードばかりだったのだ。 で、あるとき秋葉を巡回していたら、 露天売りで英語キーボードが1200円で売っている のをみて、思わず2個程衝動買いしてしまった。

ところがこいつが安かろう悪かろうの証拠の品みたいなもので、 キータッチが悪すぎだった。

しょうがないからこれは非常時のスペアにとっておいたのだが、 2ヶ月ぐらいまえにキーボードにお茶を飲ませてしまい、 2個目のストックを使う羽目になった。

前回はこのスペアキーボード1号を少なくとも半年は使ったのだが、 押し具合いによってキーが引っかかるときがあり 指がいたくなったらちょっと嫌なので、 右手の指の筋を切断した古傷があるのでふつうの人よりちょっと弱いということもあり、 今回はさすがに音を上げて物としてはまだ使えるのだが新しいのを購入したのだ。

で、今回は以前と違い、選択子は多くないものの別に探すまでもなく 英語キーボードは簡単にみつかり、 展示品を散々いじりまくって打った感じで気にいったやつを購入してきた。 そういえば、昔のコンパックのキーボードは単体で買うと 高かったが打った感じはよかったなぁ。

最近はコンピューターのパーツは安いものが多いが、 こと人間と直接触れるディスプレイ、キーボード、マウスは いい物を買わないとダメだということを再確認した。

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2004年12月08日

「オープンソースはもっと保守性を上げるべく努力せよ」OO百韻

私がそう言い張りたいのではない。 CACM2004年10月号にそういうタイトルの記事があったのだ。 タイトルは“Open Source Software Development Should Strive for Even Greater Code Maintainability(オープンソースソフト開発はもっと保守性 が上がるように努力すべきだ)”でIoannis Samoladas、Ioannis Stamelos,、Lefteris Angelis、 Apostolos Oikonomouによる共著で5ページほどのショートアーティクルである。 この手の記事は鵜呑みにするのは危険であるが、 ちょっと気になったので日記ネタにしてみた。

著者らは、既存のソースコードの測定方法を組み合わせ、独自の保守性指標を考案し、 5つのプロジェクトについて比較をしたのだそうだ。 これは私個人のまったくの想像だが、取りあげたプロジェクトの一つはNetscapeであった のではないかと思っている。 その調査の結果、オープンソースではソフトのバージョンアップに対して保守性指標が 改善せず、せいぜい横ばいか、あるいは緩やかに低下しているというデータを得た。 著者らにとっては不本意だったので活を入れる意味を込めてネガティブムードのタイトルになったのだろう。 非オープンソースのケースでバージョンアップに伴って明らかに指標が低下している のがあるので、それとの比較で考えればけっしてオープンソースに悲観することは ないと思うが。

保守性指標の公式が成立した過程があまり説明されていないので、 個人的にはこの記事にあまり満足していない。 この手の統計値をベースにした指標は、 客観的に検証可能な方法でその成立過程が解説されなければ、 けっこう自分の好きな結果に誘導することが難しくないからだ。 もっとも5ページほどの記事にそれを期待するのはちょっと酷な話ではあるが。

彼らの結論を簡単にまとめると

  1. 保守性に関して、オープンソースは非オープンソースと同じか若干良い程度である。これはモチベーションの違いに起因すのではないだろうか。
  2. オープンソースでは、コーディネーターの決定によるリリースの突然の変更があるので分析するのに注意を要する。ごく一部のコンポーネントが保守性の問題点の大部分に関与するというパレートの法則が見受けられるのが面白い。
  3. オープンソースソフトの品質の低下は、非オープンソースの場合と同じ原因に起因している。
  4. 引き続き研究を続ける所存である。

記事の前半、駆け足でいろいろと書かれているが、 オープンソースの短所として不完全なドキュメントとテクニカルサポートの不在を挙げている。 よく言われていることではあるが、この辺りがネックであるとだれもが認識し、 いろいろな人がいろいろな試みをしていながら、 未だ決定打となるような解決策がでていないあたりが オープンソースのネックとなっているのではないか。

個人的なオープンソースに対する感想として、 オープンソースに開発側として関わる人もユーザーとして関わる側も 哲学的な意識改革がもとめられているのではないだろうかと思っている。 今は、オープンソースに関わる人間の、 オープンソースに対するスタンスが問われている段階なのだ。

オープンソース界においては、アレキサンダーは出現した。 ガンジーはいつ出現するだろうか。

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2004年12月09日

「超高性能静電気発生装置」行動記録/日記

今日洗髪していて枝毛がたくさんみつかった。

昼間はまだ暖かいが、暮れも押し迫ってきて空気がめっきり冬のそれになってきた。 これからは静電気の季節である。

私の場合は、背中のあたりに超高性能静電気発生装置を常時装備しているので、 毎年冬になると静電気に悩まされる。 髪の毛も膝裏くらいまで長さがあると表面積もかなりあるのだろう。 発電能力は面積に比例するはずだからそのぶんたくさんバチッとなるモトがあることになる。 家に入るときにバチッ、エレベーターのボタンを押すとバチッ、 そしてマシンの筐体を開けようとするとバチッ、である。 とくに最後のやつが恐い。

一度SD-RAMを増設しようとしてバチッとやってしまい、 新品をおしゃかにしたことがある。 仕事柄マシンのお腹を開けてボードやらメモリーやらを 付けたりはずしたりすることが多いのだが、 冬場は特に気を使う。 特に、その場にだれか別の人がいて、 手伝ってくれようとして手をだしてくれるときが結構危ない。

最近は編んでしまうことが多いからずいぶんと静電量も減ったと 思うのだが、それでもしっかり発電してくれる。 このエネルギーを有効利用する方法はないものだろうか。

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充電池に充電してください。コンデンサを逆相に二個つかうのがミソです(うそです)。これが完成したら次は雷の充電に挑んでノーベル賞をとってください(^^。車の鍵についている放電装置って役に立たないのですか

Posted by akon at 2004年12月09日 10:50

バチッとくるときは確か3000ボルトぐらいはあるんですよね。電流がほとんどないからエネルギーとしては使いようがないということみたいですけど。

生体電気をつかうデバイスってのも研究されてるそうだから、 そういうところで使えるようにならないかなぁ。 そしたら、冬場は行く先々で静電気売って小遣い稼ぎします。

Posted by yuntanach at 2004年12月09日 12:18

メモリ消去しますなんてどうでしょうか。電流が小さいのですか・・・体感的には家庭用ACでしびれたのと同じくなんですが。

Posted by akon at 2004年12月14日 08:10

静電気でネオン管光るそうですから、用途によっては実用的なものもできるのかな。でも破壊ってのはちょっと…。 「貴方の携帯電話のメモリー完全消去します。ただし以後は携帯も使えなくなります」とか?

問題は静電気を安定して貯めこむデバイスの開発ですかね。上着とかをアルミ箔で二重にコーティングしたものを昼の間着ておいて「夜はネオン管が明るく光ります、ただし蓄電中は背もたれなどによりかかると瞬間放電してビリっとくるので注意」とか。

蓄静電気服が世間的に認知されれば「触ると感電します」と宣伝して歩いているようなものだから、女性は痴漢よけに使える?

Posted by yuntanach at 2004年12月15日 12:04
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2004年12月13日

「サーバー復活」行動記録/日記

金曜日の朝7:50分ごろ突然サーバーが死んでしまった。 実は金曜日以来、このドメインの機能が全て停止していたのだ。 死の前日にも突然電源がオフになる症状がでていたし、 このところちょっと不調な感じがでており、 もうかなり古いマシンだったのでそろそろ新しいマシンを組もうかと思っていた矢先だった。

電源をオンにしてもウンともスンともいわない。 まずはスイッチがこわれている可能性もあるので、 電源スイッチの替わりにリセットスイッチをつなげてみてもだめ。 しょうがないから、別の電源をもってきてもダメ。 つまり、マザーボードがいかれてしまった。

金曜日は予定が詰まっていて手がだせず、 土曜日に急遽代替のマザーボードを買ってきた。 まったく新しいマシンにしてもいいのだが、 おそらくCPUとかメモリーとかはまだ生きているし、 ウェブのサーバー程度のものなら部品を使いまわして安く上げたい。 そういうわけでMini-ITXサイズでSocket370用のマザーボードを買ってきた。 死んだサーバーは1GのPIIIが二つ乗ったやつだからDualのを探したのだが そんなマザーボードはもう見当たらない。 しょうがないからシングルCPU用のマザーをかったのだが、 うまくいったら残ったCPUでもう一台こさえよう。

とりあえずケースなしで机のうえで動かす。 問題なし。

ハードディスクをつなげたら、もちろん動かない。 チップセットが違うからだ。 だけど新規にOSをインストールするとアプリの設定が いろいろと面倒だなぁなどと横着を考えて、 予備にあけてあるパーティションに非常用のOSをインストしてあるのをつぶして 裸の状態のOSを起動する。 で、その予備OSから、ドライバーをコピーして、元のOSのレジストリーのHIVEを直接ロードして それを参照しながら手作業でドライバーを設定。 XPのRegeditだHIVEのロードができないから、2k以前のRegedt32はMust Keepなのだ。 これで元のOSは起動条件が新しいマザーボードのものになった以外は、 以前の動作環境をほぼ受け継いだことになる。

思わぬところでPnPのドライバー設定に手間取ってしまい、 日曜日中には完全復旧させるつもりが月曜までかかってしまった。 とりあえず一見して元通りになったが、 PnPのドライバーの設定中変なタイミングで突然ブルースクリーンに なったりするので、まだちょっと不安が残るところだ。

しかし、今回の死亡事件で非常に残念なのが、旧マシンのマザーボードは512MのDIMMとバックアップ用の ハードディスク1台を道連れにしやがったことだ。 ハードディスクはまだ1年もたってないうちでは一番新しいやつで、 いままでいろいろダウンロードしたアプリとかデータとかそのたのさまざまな ファイルのアーカイブにしていたので痛手が大きい。 まさかこいつが先に死ぬとは思ってなかったから、 以前のアーカイブディスクから徐々に移行していて、 数ヶ月まえにやっと終わったところだったのに。 過去5年分以上のデータがすべてふっとんでしまった。

せめてもの救いは仕事用の部分は無事だったことぐらいか。 過去に何回か痛い目にあっているおかげで、 そのたびにバックアップの冗長度が増えているため、 さすがにこっちは影響がない。

あ~、でもデータを失ったのはとてもダメージがでかい、なんかしばらく旅にでたい気分。

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2004年12月15日

「秋葉の平和はオレが守る!」行動記録/日記

10年以上まえ、当時住んでいた品川から引っ越すことにしたとき、 秋葉の駅を中心にらせん状に歩いて部屋を探し、 結局秋葉の駅まであるいて15分かからない湯島に落ち着いた。 引っ越してしばらくはしょっちゅう秋葉を巡回して、掘り出し物を見つけては喜んでいた。 タバコが切れたといって外にでて秋葉。お腹がすいたから外食でもといって外にでては秋葉。

だから冗談で 「『秋葉の平和は自分が守っているのだ!』という自負のもとに秋葉を巡回している」 と公言し、実は仕事をほっぽりだして油を売っているのを正当化していたものだ。

しかし、ここ数年は秋葉のそばに住んでいても必要がなければ出かけなくなってしまっていた。

理由の一つに、秋葉に足を運ばなければわからない「掘り出し物」がなくなったというのがある。 今ではコンビニで売っている雑誌に紹介されているものしか置いてない。 小物なんかはいまでも珍しいものがたくさんあるが、すぐにメディアで紹介されてしまう。 みんなどこかで見覚えがあるものばかりなのだ。 だから、巡回中になにかみつけて「お、これは何だ!?」というのがなくなった。

もう一つ、秋葉の店の種類が変ったということも足が遠のいた理由だろう。 いつの間にかアキもつぶれてしまって、酒を飲まない人間が長居できる静かな食べもの屋がなくなってしまった。 それに、ここ2~3年は同人関係の店ばかりになった。 歩いていてちょっと怪しい雰囲気のあるところはどこに行っても同人関係ばかりになった。 テレビがないからゲームもしないし、同人を否定はしないがそういう分野は自分の趣味ではない。

一説によると、秋葉というのは何時の時代でもマニアのための町なのだそうだ。 だから、昔はラジオやオーディオ、ちょっと前は電子機器とかパソコン、そして今は同人なのだそうだ。次はなんだ?

今回マザーボード探しで半日歩き回ったが、面白い店がほんとに少なくなった。 いままでは秋葉を巡回するにしても土日は人が込むから避けていた。 今回は必要があって土曜日に歩いたが、ボーナス後ということがあって人が多すぎ。 それより、中央通りぞいのT-Zoneの横にドンキホーテやリラクゼーション関係の小店などが入って、 ビルの雰囲気がごっそり変ってしまったり、 PSPの発売日に備えて前日から並んだりするひとたちをみて、非常にびっくりした。

来年中には引越ししようと思っているのだが、 秋葉のそばに住む熱意はかなりへってしまったなぁ。 次はどこに住もうか。

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2004年12月16日

「三半規管」行動記録/日記

三半規管むずかしぃっす。

仕事で大学病院で研究している教授が研究で必要になったソフトを作るというのを かれこれ7年ほどやっている。いままでも「この論文のここにある実験結果のグラフ をだせるようにしたい」とかいって医学論文読まされたりしてたのだが、 単に要求をだしてそれを作らせるというのでは限界があるということになり、 三半規管について教授にレクチャーされてしまった。

教授といってもただの教授ではない。とある系列の頂点に位置する医大の ある学部で筆頭教授の肩書きを持つ人だ。ドラマとかだと、そういう偉い先生は、 医学そっちのけで政治工作に精を出したりするが、そういうのとは対極にあるひとで、 その分野ではその医療技術の高さでもってそれなりに名の通った人である。 肩書きに見合う権力を持ち実際それを発揮できる人ではあるが、 難しい症例があったりすると招かれて手術したりする実戦派だ。

毎年ある時期になると新しい若い先生方が研究室に配属されたり、 国家試験対策なのだろうが、医局に学生が押し寄せてくる。 そういう新人の先生方からは、まるで神か魔物かのように畏れられている人を 3時間ほど独占して三半規管についてレクチャーしてもらった。 まるまる全部の時間がレクチャーだけというわけではなかったが。

三半規管はその名の通り三つの部分からなる。三本の管がCの字になっていて、 この中に液体がつまっている。 身体が動くとこの液体が流動して、その流れを検知することで平衡感覚が得られる。 この管のCの字が配置される面が、平たく言うと水平と左右、前後の分そろっている。 それぞれの面はその垂線を中心に回転する量を検出するわけだ。

実際の教授の話はもっと専門用語と病状の説明に満ち溢れていたが、 私はもともと科学関係分野はなんでも好きなので、 こういう話は聞いていて非常に面白い。

しかし人間の平衡感覚というのは不思議だ。 例えば水平の回転を検知する器官が水平についていない。 器官は左右についているが、左側のやつだと水平方向の移動を検出する平面の垂線は、 頭を基点にすると肩幅に開いた右足を半歩ほど前に踏み出した位置に向かって伸びている。 かなり傾いているのだ。 左耳の奥にある器官で水平の回転を検出するものなのだから、 普通で考えればまっすぐ下にある左足の上にあっても良さそうなものなにに、 実際には右斜め前の方向を向いているのだ。 背骨を軸に身体を回転するような場合、この傾いた平面上の位置で回転量を検出する。 もっとも、センサーは3軸分あるわけだから、そのベクトルの合成を考えれば良いと いうのは理屈ではわかる。 しかし、3次元分ある軸はそれぞれ垂直になっていない。 前後方向の平面の垂線は、 頭から見て左手を左側に30度ほど上側に30センチ ぐらいの方向に行くし、左右方向の平面の垂線は右手をまっすぐ前に伸ばしたあたりに向かっている。 これら垂線からできる立体は立方体ではなく、なんか微妙につぶれている。 これが不思議だ。

しかし、なによりも難しいのが、医学専門用語かもしれない。 つき合いが長いからある程度はわかるのだが、突然言われると混乱する。 ラテラルキャナルとは外半規管のことでトランスアキシャル面の回転を検出する。 これは上で書いた水平方向の回転を検出する器官のことだ。 一個一個の用語をこうやって覚えるのは簡単だが、 話のなかでこういった用語が重奏的にでてくるから、 いちいちメモに書いたものを見直さないとすぐには話が飲み込めないことがある。 回転を表すのなら飛行機とかのようにピッチロールヨーで言ってくれれば 即座にピンとくるのに、いちいち医学用語を自分がすでに知っている世界に 当てはめようとしてしまうからワンテンポ把握するタイミングがずれてしまう。

日常用語で考えてしまうから、肝心なところで勘違いしていることもある。 ずいぶん前に、先生が「眼振(がんしん)」というから、 単に「視線が振れること」だとばっかり思っていて、 それで話が微妙にずれてしまっていたことがあった。 眼振とは要するにこれがいわゆる眩暈のことなのだが、 いろいろ種類があってこの区別も素人にはわかりづらい。

大学のときとった生物の試験は学術用語の単語テストみたいなところがあって、 ラテン語やギリシャ語由来の暗号みたいな名前を暗記するのに苦労した記憶ばかりだ。が、それは英語が理由だったのではなく 日本語であっても医学関係の専門用語は結局同じように難しいものであった。 結局学問というのはどんな分野でも最初は暗記から入るしかないのだ、 ということを再確認した。

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2004年12月31日

「2004年」行動記録/日記

この2週間というもの同時発生的に仕事やら私事やらが たて続けに発生して非常に大変だった。 暇すぎるときと、目まぐるしく動き回っているときってのは 日記みたいなものは進まないもんだなぁ、と再確認。

ところで、2004年というのは自分にとってどういう年であったのだろうか。 ここ数年来いつもと同じように、 何かをなしえたというわけでもないし、 何かをはじめたというわけでもない。 やり残したことも少なくない。 そんな感じでも、なんとなく気分的には「〆」の一字が思い当たる。 来年年明け早々に結婚という人生の一大イベントが 控えているからかもしれない。 婚姻届は明日元旦に出すことでもあるし。

10代のころから毎年元旦には初日の出を拝みに行くのが習慣になっている。 一度年末に熱をだしていけなかったことがあったのだが、 そうするとその一年何かにつけてそれを思い出してしまう。 自分でも馬鹿らしいことだとは思うが、仕方がない。 しかし、曇りや雨などで日の出が見えなかったことは何度もあるが、 そういうときはまったく気にならない。 要は「初日の出を見に行く」という行為そのものが重要なのであって 実際に見えたかどうかはあまり関係がないようだ。

具体的に何かをやろうということは特にないくせに、 元旦に初日の出をみるたびに毎年今年こそはという気迫だけは出てくる。 来年はどうだろうか。 大晦日は雪で大変なことになりそうだが、 明日の朝はなんとか晴れそうなので初日の出は期待できそうだ。

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