2004年12月06日

「お代は観てのお帰り?」OO百韻

呑舟さんの日記「akonの<よっぱらい>の戯言」のセカンドオピニオンでコメントが続いたので。

経済活動は、その根本では「付加価値を生み出すこと」が基本にあるはずだと思っている。 この考えを極限まで追及すれば、経済活動は成功報酬でのみなりたつ、 逆に言いえば付加価値を生み出せなかった場合には 報酬を手にすることはできないということになる。

実際問題としては、しかし、それはさまざまな意味で非常にきつい。

一方で、これもまた極端な例だが、 もし仕事の成果ができる課程の労働行為の手間賃だけだと、 なにも成しえてないにもかかわらず賃金支払いだけが積み上がっていくということに なりかねない。

だから私は、これらの折衷案、すなわち最低限の賃金は支払われるが、 全てがうまくいったあかつきにはその付加価値に応じて成功報酬が 支払われるというのが妥当なところではないかと考える。

ちょっと話は飛ぶが、パレートの法則というのは、 おそらくこういうところでも成り立つだろうと想像する。

パレートの法則とはいわゆる20%-80%の法則とか、 ニッパチの原理とかで知られているものだが、 パレートの法則自体はもともとは「富の大半は一部の人に集中する」というものだ。 これは経済学以外でもさらに「質的な大多数は、量的な少数派」という具合いに一般化できる。 例えば、ソフトウェア工学で「プログラムの8割は例外処理で、実行時間の2割を占める」と いう話がまことしやかに話されているが、これなども一般化されたパレート法則の ソフトウェア工学での応用例だろう。

他に、働き蟻はどのようにサンプリングしても必ず1割がさぼりだすというのもある。 働き蟻の動きをよく観察していると、ほとんどの働き蟻はいっしょう懸命に働いて いるのだが一部の蟻は辺りをうろついているだけで全く働かずにさぼっている。 ところが、このさぼり働き蟻を排除すると、こんどはそれまでいっしょう懸命に 働いていた蟻の一部がまたさぼりだす。 つまり、特定のさぼる働き蟻がいるのではなく、どのようにサンプリングしても 一定数の働き蟻がさぼるようになっているらしいのだ。 セルラーオートマトンの研究などで、この冗長性が何を意味するのかというのは いまだ結論がでていないトピックである。 人間社会においても、なんとなくありがちな話ではあるが、 私はこれはパレートの法則の逆適用の話であろうと思っている。

話をもとに戻すと、一般化されたパレートの法則と、 一定数がさぼる働き蟻の話などを考えるに、 最低保証賃金+成功報酬制度の場合でも、 やはりごく一部の人が成果に寄与しており、 そして別の一部は全く成果に寄与していないと いう状況が出来上がるのではないかと想像している。 こういう制度が一般化したら、一匹狼はつらいだろうなぁ。

課題とすべきなのは、最低保証賃金と成功報酬の配分であり、 またそれらの差を少なくするための方法のことなのではないだろうか。

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