2004年05月14日

「結局はヤル気が重要?」OO百韻

結局挫折したはてなダイアリに書きかけた結局はヤル気が重要?の続き。 とりあえずはこっちに引越し。

こんなニュースがあった。

日本IBMは、企業活動全般を業務(プロジェクト)単位で細分化し、
収益性などを厳密に管理するソフトの販売を始めた。(中略)企業活動を
プロジェクトの集合体と見なし、各事業の厳密な収益管理を通じて経営資源の
適切な配分を目指す「エンタープライズ・プロジェクト・マネジメント(EPM)」と
呼ぶ経営手法を支援する。 
『日本IBM、プロジェクトの収益性などを管理するソフト』
どのように実現しているのか興味があるところだ。恐らく、従業員に細かな「行動記録のデータベースへの入力」を強いるものなのではないだろうかと想像する。この想像があっていると前提しての考えだが、大きな会社でなければ導入するのは難しいのではないかとも思う。ITやその隣接業界ではなにか新しいモノを導入するのにあまり抵抗はない傾向にと思うが、それ以外の業界では下手すると強烈な抵抗をうけてしまうことが少なくない。

会社の経営をしている知人などから、たまに社内システムの導入にからんだ相談を受けることがたまにある。業種としては、出版、教育、映像、小売、税理、といったところで、コンピューターリテラシーのレベルは、言っちゃ悪いけど平均未満の業種ではないかと思う。そういうところには、昔ながらのやりかたでやっている人が多い。すると、別にITに限らず、とにかく「新しいものにはとにかく抵抗する」というスタンスの人が必ずいる。で、そういう人はえてして、その会社での実務面で中心的な役割を果たすような職場の実力者*1であったりするので、たちが悪い。

だから、日常業務で単にPCを利用していますというところから更に進んでみたいという話を聞くと「運用が決め手になりますよ。金を投入してハード(=システム)を導入しても、ソフト(=人)がうまく働かないとうまくいきません」という感じで答える。システム/人のところをハード/ソフトというのは、相手が都合よく誤解してくれるように、わざとそういういかにもソフト屋な言いまわしで表現をするようにしている。何故かというと、うっかり肯定的なこといって、じゃあやってよ、と言われると、その人的問題を理由にしてかなりたいへんな目にあう可能性が高いからである。かといってまるっきり否定するのもなんだし。触らぬ神にたたりなし。ちょっと違うか。

そういえば、つい最近友人と「行動記録をとるソフトが欲しい」という話があった。PSPなんぞを読んでなんか触発されてしまったりすると、自分の仕事の内容の統計をとる、というのをまずやってみた人は多いと思う。私の場合はあまり続かなかった。だって、めんどうなんだもん。

一応これでもソフト屋のはしくれではあるわけなので、こういう場合はまずはソフトを作ってみたわけだ。「タイムレコーダー」と名付けた。プログラミング覚えたての初心者が習作につくるようなもので、設定ファイルの内容に従ってちっちゃなウィンドウにボタンが並ぶというものだった。ボタンを押すとその時刻が記録されるというきわめて単純な作りだ。それを作るのにおそらく1~2時間もかかっていなかったと思う。

数日後、スクリーンセイバーが動きだすとそれも記録するように改良した。うっかり操作しわすれると「1日に18時間仕事をしてました」とかなってしまう欠点があったからだ。この改良により仕事から睡眠にシームレスに移行しても、より正確な記録になるはずだ。当時の私は仕事も生活もまったくごっちゃになっていて*2、どこからが仕事でどこからが遊びなのかが非常にあいまいであった*3。食事もキーボードの手前でとっていたし、寝床の横がパソコンの操作環境だったので、いつのまにか無意識のうちちゃんと横になって寝ていて、そして身体を起こしたらすぐパソコンという生活が日常的だった。そんなヒキこもりプログラマーが生産性を計りたいと思ったならば、うってつけのソフトであっただろう。

1週間はもたなかった。

結局のところ何かやるまえに、あるいは、別のことをやりはじめるまえにいちいちその行動記録アプリを操作しなければならないというのが一番のネックだったのだ。私の場合は仕事柄簡単にアプリを作ってつくってしまったわけだが、これは紙などによる記録であっても同じであっただろう。

これはどこに問題があったのだろうか? とりあえず一番最初にでる答は「私がものぐさだから」である。これは間違いない。でも、はたしてそれだけだろうか。他のことでは、なにか新しいことをやりはじめて、それがちゃんと習慣化したようなことは、数えればいくらでもある。と、思う。

習慣化できた場合とできなかった場合。両者の違いはモチベーションの有無、もしくは、そのモチベーションの程度にあるのではないだろうか。いわゆる、ヤル気の問題だというわけである。だれもが当たりまえに行なうことができる事ならば、自分がその事についてなにか決定的なトラブルを抱えているということでなければ、ヤル気の有無がその成否を左右するといっても過言ではない。「『やればできるがやらない』というのは、できないのと同じ」というのは、本質的にはヤル気の問題なわけだ。まぁ、当たりまえといえば当たりまえの話だが。

それでは、行動記録ソフトを運用しつづけるには、どのようなモチベーション、ヤル気が必要になるのだろうか? あるいは、発想を変えて、モチベーションを維持できない状況にあっても運用しつづけるようにするには、どういった要素が必要とされるのだろうか? 何かご褒美があれば良かった?

(後日に続く、もしくは途中)

注釈

  1. :私がしばしば言及する「最高実力者と最高責任者をいち早く見分けるのが、新しい現場でうまくやるコツ」のこと
  2. :今は寝るところと仕事するところが別になっているので多少はメリハリがつくようになってはいる
  3. :この部分は未だに同じ
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「結局はヤル気が重要?」へのコメント  コメントを書く

Est-ce que tu connais un ming ho?

Posted by Amiture at 2004年12月08日 10:49

Je ne sais pas.

Parlez-vous de mon ami qui a étudié avec moi dans UTM?

Je connais une personne avec le nom semblable.

Posted by yuntanach at 2004年12月08日 11:59
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